火縁の娘 1


新緑の候、風薫る五月というが、今年の大坂の初夏は昨年より暑い。 中之島と三郷の町に架かる橋は強い日差しに照らされて、その熱が足裏から伝わって来る気がした。 大坂と芸州は気温はさほど変わらないように思うが、いかんせんこちら …

火縁の娘 2


その日、西町奉行所盗賊改方同心石黒多聞は、同じ西町奉行所の火事役与力白倉忠兵衛に呼ばれ奉行所の小部屋を訪れた。 白倉は人の良さそうな、目尻の垂れた細い目を一層細め、にこにこと多聞を見た。  「何ですか。随分とご機嫌が良さ …

火縁の娘 3


がつん、と横胴を払われたと思ったら、次の瞬間には背中に乾いた衝撃を感じ、気づけば床を舐めていた。 不覚、と思いながらも身体を起こすことが出来ず、多聞はしばらく床に倒れたままで居た。 織部の稽古は、普段の彼の穏やかな雰囲気 …

火縁の娘 4


船場のかんざし仕入屋・曙屋は京物の良い品を入れていて裕福な商家の妾や武家を顧客に持っており、店構えは小さいが儲けていると言われていた。 その曙屋が強盗に襲われたのは、主の治平衛が京へ発って三日目の深夜のことだった。 店の …

火縁の娘 5


雨・滝印が管轄する三郷北地区は、大店や老舗のひしめく船場である。 そのため曙屋の一件で警戒を強めた北組惣会所は、月番の西町奉行所と話し合って見廻りの頻度を高めることにし、商家にも注意を促して回った。 一方、多聞は東町配下 …

火縁の娘 6


奉行所は東西とあるが、そこで働く与力同心たちの住まいは同じ天満の組屋敷だから、職場は違っても皆ご近所さんである。 しかも江戸と違って大坂の役人の数は少ないため、住宅規模も江戸八丁堀に比べて小さい。 だから東町の石井厳太郎 …

火縁の娘 7


 「旦那の見合いが明日になったって?」  「はい」  「お前、おみっちゃんとこ行ったんよな?それが、どこがどないなってそがん話になったんよ」 進之丞に呆れたように言われた丑松は、困った顔をしつつ奉行所でみつから聞いた事を …

火縁の娘 8


翌日、石黒多聞は紋の入った羽織袴を着け、家を出た。 行き先は近く、同じ天満の組屋敷街にある白倉家だ。 見合いの日取りを急いだことに石井は訝しむかと思われたが、多聞がどうしても加奈に一目会いたいと言っている、と伝えたところ …

火縁の娘 9


多聞が、参次が登楼している見世の裏口を三回、一呼吸置いてもう二回叩くと、待っていた金太が中から戸を開けた。  「お待ちしとりました。参次は上です」  「ご苦労。妓の方は?」  「馴染みが長いと聞いてたんで不安でしたが、妓 …

火縁の娘 10


 「こんばんわ、お久しぶりです」  「……どなたさんで?」 町が夕焼けに染まりはじめた頃、暖簾をくぐってきた若い娘を見て進之丞は訝しげな顔をした。  「いややわ紅寅さん、私の顔、忘れてしもたん?」  「え……もしかして、 …