水無月の雨 1


雨上がりの空気はすっきりとして、心地よいと感じる程度に冷たい。 池には雲間に見えた月が映り、雨露を乗せた紫陽花が月光を弾いて、庭中がきらきらと光っていた。 それはとても幻想的で、子供心にこんな美しい光景があるものかと感動 …

水無月の雨 2


 「……なんだか、町中洗い流されたようじゃのう」 織部は嬉しそうに独りごちると、雨上がりの少し冷えた空気を胸一杯に吸い込んだ。 通り沿いに並ぶ柳の木が、慈雨の恵みを受けて嬉しそうに葉を鳴らしている。 既に乾いた道を往く人 …

水無月の雨 3


 「……みっともないところを、お見せしてしまいました」 泣くだけ泣いた織部は、目元を拭って少し照れくさそうに言った。  「なんの」 和尚は穏やかに笑って手を放そうとしたが、織部はその手を引き止めるように握りしめた。  「 …

水無月の雨 4


 「……なんか、緊張してきた」 三年ぶりに西龍寺を訪れた進之丞は、山門の前で足を止めて思わず呟いた。 ここに居た四年間、毎朝この門の前を掃き清めることが日課だった。 あの頃はまさかそれより長く寅屋に居るとか、ましてや織部 …

水無月の雨 5


 「番頭はん、おかえりな……」  「旦那様は」 梅屋呉服店の堂島支店、通称北大丸の一番番頭・長兵衛は、笑顔で出迎えた奉公人のサチを遮り険しい顔で聞いた。  「えっ、奥に居られますけど」  「ほしたらしばらく、奥には誰も通 …

水無月の雨 6


おのぶが連れてきたのはサチも知っている男で、南大丸の手代善助だった。 その善助にぴたりと寄り添うおのぶを上目遣いに見つつ、やっぱりそういう話だったかとサチは内心でため息をついた。 けれどまさか相手を連れて来るとは予想外で …

水無月の雨 7


翌日は、明け方から雨が降ったり止んだりという天気になった。 陽の射さない灰色の空と肌寒くて重い空気に、入梅が近いことを感じる。 今年の梅雨は早そうだ、などと思いながら、進之丞は今日も西龍寺の山門を潜った。 向こうから参道 …

水無月の雨 8


 「ただいま」  「ああ、おかえりなさ……」 その声に振り向いた菊匠の由松は、久々に反物でも見てくると南大丸へ出掛けたはずの主が、その南大丸の娘を連れて帰って来たのに目を丸くした。  「えっ、あれ?御頭、こりゃ一体どない …

水無月の雨 9


朝の寺は忙しい。 朝餉の片付けが終われば昼まで少し時間が出来るので、清太郎にはそれまで庫裏で待っていてもらうことにした。 潔癖な清太郎のことだから、こんな薄暗く埃っぽいところで待てというのかと叱られるかと思いきや、素直に …

水無月の雨 10


翌日はまた雨が降った。 その雨の中へ道仙和尚の薬を取りに出掛けようとした仙太を、六は引き止めた。  「仙太さん、俺が行ってきますよ」  「えっ?」  「実は、なんやちょっと背中が痛うて」  「……昨日の、あいつに踏まれた …