お題017 「もういない?」


 「まったく、まだ寝小便癖が治らないのか」 基実は呆れて零しながら、濡れた息子の布団をよいせっと物干しに掛けた。 その父の背を上目遣いに見遣りながら、息子はぼそりと言った。  「そ、そうじゃありません…」  「なんだと? …

お題016 「池に映った」


その晩、藤野と直衣は、月明かりを避けるようにして内玄関から陣屋に入った。 二人の到着を待っていた老門番重蔵は黙って一礼し、すぐに温かい濯ぎを用意した。 提灯も持たず暗闇の中を歩いてきた二人が丁寧に足の汚れを落としていると …

お題015 「雑踏」


持て余した時間を潰そうと港へ足を向けてみると、ちょうど船が着いてたくさんの人や荷が降りてきた。 人混みが好きな訳では無いが、誰も自分のことを知らない雑踏の中に居るのは割と心地が良い。 すれ違う人とふと交えた視線に、気楽に …

お題014 「白紙」


 「今日も来たよ、お吸い物のひと」  「えっ」  「それなりなご身分の方のようなのに、なんでいつもお吸い物だけなのかしらね」  「八重さん、どう思う?」  「…さあ。おうちのお吸い物が余程不味いんじゃないんですか」 女中 …

お題012 「音楽」


手馴れた三味線に乗って聞こえる、母親の声。 その艶っぽく粋な子守唄を、男の声が遮った。  「女将さん。三吉屋さん、お越しです」  「分かった、すぐ行くわ」 春子は亀吉へ唄うように答えると、急に曲を変えた。  「清掻…」 …

お題011 「答え」


 「───それ、俺も着るん?」 彼があからさまに嫌な顔をして黒い腹掛け姿の自分を指差したので、自分も黒と紅の着物を纏う彼を指差して言った。  「その着物、焦がしてもええならそのまんまでかめへんですけど」  「………」   …

お題010 「間に合わない」


目の前で、ひとつ提灯の火が消えた。 もうひとつ、またもうひとつ。 そうして暗くなっていく境内を見て、暗がりにも分かるほどがっくりと肩を落とした夫へ、妻は言った。  「だから、もう間に合わないって言ったのに」  「うん…… …

お題009 「モノ」


物も永い時を経ると魂が宿ると云ふ。 吾がいつこの世に生まれたかはもう定かで無いが、それほどの時が経つてゐたと云ふ事だ。 しかし吾の姿を確かに見る者は、その永い時の中でたつた一人である。 吾はそも人を殺傷するために生まれた …

お題008 「うさぎ」


 「なにこれ、喰うの?」  「馬鹿ね!違うわよ!!」 菊左は低い声で甲高く言うと、京治の手から籠を奪い返した。 籠の中で、真っ赤な目をした真っ白い兎が吃驚したように身を竦めた。  「白い兎はね、月の化身でもあり神様のお使 …

お題007 「負けられん」


 「ああ、ほんなら百回と言わず千回でも叩いたってください」  「な!ちょ、頭…!喧嘩売ってきたんは向こうやで!俺は悪うない」 縋るように袖を引いた巳之吉を、亥次は心底呆れたという目で一瞥した。  「売る方も阿呆やが、買う …